弓道考察モノローグ

合い言葉は肩甲骨

履物を揃えるという事

今回の記事は技術とは遠いような、しかし本質があるのではないかというお話です。

 

つい先日、一つ気がついたことがありました。

それはきちんと揃えられた履物が道場の入口に並んでいたということです。

 

もちろんそれは単純で当たり前なことですが、それを実行するのはとてもむずかしいことだと思います。

私が言っている"履物を揃える"というのは、誰か一人が自分の履物を揃えるというのではなく、建物の平行垂直のグリッドに対してきちんと全ての履物が均等に並べられているということです。

そして履物を揃える際には周囲の履物と間隔を見て、建物のグリッドに履物の向き合わせて、ときには他人の履物を整えて、きちんと手を使ってその場で屈んで手直しをするということです。

 

この行為には弓道における大切なことがたくさん含まれていると感じました。

 

まず道具を大切に使うこと。

きちんと手で整える、それだけでも一つ面倒くさいという気持ちに打ち勝つ行動であり、それこそが弓矢を管理する姿勢につながると思います。もちろん着付けに関しても同じです。

きっとそう言ったひと手間をやろうか迷って実行する行動選択は試合前に弓と弦の高さや、中仕掛けの毛羽立ちや太さや劣化具合の確認、矢羽根の老朽化への意識などにつながってくると思います。

結果的にそう言った姿勢は的中の精度に還元されるのではないでしょうか。

 

次に行動に間を持つこと。

一度入り口で立ち止まり履物に意識を向けるには心に余裕が必要です。

焦っていてはできないし、入り口で一度止まるということはせっかちにならない姿勢が生まれます。

そういった間は先生や先輩、同期、後輩に挨拶をするとき一度相手の前で止まってから挨拶をしたり、入場の礼の際に上座へ意識を向ける時の間であったり、ゆがけをつけるときに一度腰を落として正座で挿すなど様々なところに繋がってきます。

もちろん焦って射を運べば会も浅く、早気にもなってしまうかもしれません。(早気が意識が原因かどうかは別問題として)

そういった間を審査の前だけ練習するのではなく、普段から意識するための第一歩として道場についてから最初に行うこと行動で始めることに意味があるのではないでしょうか。

 

そして3つ目に十文字の規矩が身につくこと。

履物を揃えるときには建物のラインに向きを合わせると思います。

履物と建物の縁などをよく観察して綺麗に並ぶように手で整えるというのは、普段の練習で常に矢線や肩線を意識して見るといった行動と意識にも反映されると思います。

もちろん射位の入り口である本座では、次に自分がどこへ立つべきか建物と的と足踏みを考えながら一歩を踏み出すと思います。

弓道に必要な十文字などの美的センスは履物を揃える行動と意識から発展していくのではないでしょうか。

 

そして最後に周囲との調和や協調性です。

ただ自分の履物だけが揃っていればいいというわけではありません。

ずれている他人の履物があれば直し、間隔を見てときには並べ直す。

組織としてならなおさら、誰かが履物を並べ直してくれていたら悪い気がしないはずです。

自分もきちんとしよう。そう思えれば成長出来た瞬間だと思います。

 

他人の着付けが崩れていればそっと教えてあげる。

並ぶときはお互いつま先の位置を合わせる。

座射で弓と立てる際には周囲の音で準備が終わるのを察する。

矢取りやキリのいいところで行射を終わらせられるように周囲に気を配る。

そしてなにより複数人で行う立の際は隣の人と呼吸を合わせて、間が一致して初めてチームとしての弓道ができると思います。

 

そう言った周囲に気を配るというのは重要で組織に属しているという意識にも影響を与えると思います。

それは電車の中であったり、他の道場に行った際の態度、他校との試合の際に自分の行動が組織の評価になるという意識に帰納されます。

仲間内だけでの調和ではなく大勢でいるとき他の人の邪魔になっていないか、人の輪が膨らんでいないか、移動の際の列が整っているかなど、組織以外の人に見られても恥ずかしくない行動をする、実力に見合った行動をとるそう言った姿勢が身につくと思います。

トップレベルの学校が一糸乱れぬ列や綺麗にまとまった弓を持って移動する姿だけでも息を呑む美しさがあります。

そう言った人を魅了する行動は履物を揃えるところから生まれるのではないでしょうか。

 

これは私が憧れているある弓道のトップレベルの大学の話なのですが、アリーナで引く彼ら(彼女ら)のチームはまず本座に入る前にきちんと履物を揃えて入り、介添が立ち位置の中心に履物を揃えているところを目撃しました。

この行為の中には先程述べたような合理性と美しさが含まれており、さらには組織として気品が溢れてその組織では当たり前の単純な行為が的中という実力へと昇華させるとても素晴らしいプロセスがあると思い本当に目から鱗でした。

なによりその試合では全員が全ての矢を的へ詰めたのですから、ぐうの音も出ませんでした。

 

きっと彼らにはそういった生活面や物事に臨む姿勢から形成される人格とそこから養われた審美眼と言うものがあったのではないでしょうか。

 

これは弓道だけに言えることではないと思いますが、道場に着いた際や矢取りからもどった際は一度自分の履物にいつもより意識を向けるとなにか新しい発見があるかもしれません。